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3.国指定史跡 南方古墳群(吉野支群)
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更新日:2021年8月1日更新
国指定史跡 南方古墳群(吉野支群) 所在地:吉野町
1943(昭和18)年9月8日 指定
国指定史跡 南方古墳群は、五ヶ瀬川流域に広く分布する総数41(現存38)基の古墳の総称であり、小規模な支群に分かれる。
吉野支群は、五ヶ瀬川に沿って東西に延びる見晴らしの良い丘陵上に点在する円墳4基(14~17号墳)によって構成される。この他に周辺で凝灰岩(ぎょうかいがん)製の箱式(はこしき)石棺(せっかん)が3基見つかっており、現存する古墳以外にも多くの墳墓が存在した可能性が高いと判断される。
14号墳は大正15(1926)年に鳥居(とりい)龍蔵(りゅうぞう)氏によって調査され、凝灰岩製の舟形(ふながた)石棺(せっかん)が検出された。中には成人男性の人骨とともに剣や鏃(やじり)が副葬され、石棺の内部は顔料で真っ赤に塗られていた。15号墳は箱式石棺で、剣や鏃、玉類が出土している。16・17号墳の墳丘は未調査である。14号・17号の墳丘表面には葺石(ふきいし)とみられる川原石が散在している。
14号墳の舟形石棺の形態は市内に数ある石棺と比較しても類例のないものであり、副葬品の特徴から古墳時代中期初頭に位置づけられ、吉野支群の造営開始時期や凝灰岩製石棺が出現した背景を探る上で極めて重要な古墳である。
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