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5.小峰焼 陶工の墓
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更新日:2021年8月1日更新
小峰焼陶工の墓 所在地:小峰町
小峰焼は江戸時代後半に、この小峰町で焼かれた陶磁器である。その登り窯跡は現在「小峰窯跡」として市の指定史跡となっている。
その陶工及び子孫の墓といわれる3箇所の墓地が、昭和44(1969)年に柴田五橋・小田省三『延岡内(うち)山焼(やまやき)(小峰焼)の研究 第2輯』において報告されている。しかし、その後、長い間知られることのない存在になっていたが、平成23(2011)年に小峰焼保存会 会長 甲斐盛豊(延岡史談会会員)によって再確認され、地域の人たちによって大事に管理されている。
本墓地は、3箇所の中で最大のもので14基の墓石が確認されている。特に立派な3基が最前列に約3メートルの間隔をあけて並んでおり、それぞれに刻まれている俗名及び没年は、新助(1747年没)、与助(1822年没)、久右衛門(1846年没)である。久右衛門の名は、窯跡発掘時に「日州延岡/久右エ門」と銘のある磁器碗が出土しており、このことから柴田・小田は、この3基が陶工の中心的な人物であったと推察している。延岡の窯業の歴史や、小峰焼の研究には欠かせない貴重な文化財である。
【文責 延岡史談会】
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