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近代の年表(1930~1950年)
近代の年表(1930~1950年)
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1930(昭和5)年
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4月 延岡町・岡富村・恒富村が合併して新しく延岡町ができた。
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1931(昭和6)年
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6月 恒富に日本ベンベルグ絹糸(株)が創業し、中川原町に旭絹織(株)延岡工場の建設がはじまった。
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1932(昭和7)年
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6月 追内町に日本窒素火薬(株)延岡工場が建設された。
12月 国鉄日之影線工事の請負契約がなされた。 -
1933(昭和8)年
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2月 市制施行(人口42,401人、世帯数7,994世帯)
4月 初代市長仲田又次郎氏が就任した。
5月 延岡ガス(株)が創業し、翌9年9月からガス供給をはじめた。 -
1934(昭和9)年
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4月 内藤政道氏が延岡城址一帯を公園敷地として延岡市に寄付した。
4月 惣領町に延岡高等小学校を創設し、延岡・岡富・恒富の各小学校高等科を統合した。
4月 須崎橋・五ヶ瀬橋が架設された。
9月 延岡商工会議所が創立された。 -
1935(昭和10)年
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2月 日之影線が日向岡元まで開通した。
3月 歌人若山牧水の歌碑を城山公園に建てた。
10月 板田橋が架設された。
11月 天皇陛下をお迎えした。城山から全市を展望され、ベンベルグ工場をご視察になられた。 -
1936(昭和11)年
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3月 川島橋が架設された。
4月 日之影線が川水流まで開通した。
8月 塵芥焼却場ができた。
10月 東海村と伊形村が延岡市に合併した。 -
1937(昭和12)年
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1月 仲田市長が退職した。
2月 19日午後10時市庁舎から発火し、庁舎及び隣接の県立図書館を全焼した。
3月 鈴木憲太郎氏が市長に就任したが衆議院議員選挙立候補のため4月に退職した。
5月 鈴木憲太郎氏が再び市長に就任したが、6月に辞職した。
7月 安賀多橋が架設された。
9月 大島文彦氏が市長に就任した。
9月 日之影線が槇峰まで開通した。 -
1938(昭和13)年
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4月 出北町に東小学校が新設された。
4月 延岡市常備消防部を創設した。
6月 延岡保健所が設置された。
7月 延岡郵便局が南町の新築局舎に移転した。 -
1939(昭和14)年
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2月 恒富浜の山(現在長浜町)に日本窒素火薬(株)の雷管工場が完成した。
8月 内藤政道氏が本小路の旧邸を延岡市に寄付した。
8月 県立延岡図書館が再建された。
9月 大洪水で大瀬橋が流失し、須崎橋は半壊した。
11月 日之影線が日之影まで開通した。 -
1940(昭和15)年
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4月 私立実践女学校が設置された。(20年焼失)
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1941(昭和16)年
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4月 尋常小学校を国民学校と改称した。
4月 延岡高等小学校内に市立延岡高等女学校を新設した。(19年に県立高等女学校に合併移管)
5月 延浦航船(株)が創設された。22年に日豊汽船(株)と改称した。
10月 三浦虎雄氏が市長に就任した。
12月 太平洋戦争が勃発した。 -
1942(昭和17)年
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3月 日高保三郎氏が三松公園を市に寄付した。
5月 三浦虎雄氏は衆議院議員選挙立候補のため4月に市長を辞職したが、再び市長に就任した。 -
1943(昭和18)年
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9月 40日あまり雨が降り続き9月20日大洪水となり、川中・岡富・東海地域で大損害をうけた。
10月 延岡商工会議所は宮崎商工経済会延岡支部となる。(21年延岡商工会議所に改組された。) -
1944(昭和19)年
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3月 市水産会は漁業組合と統合して漁業会の設立となり、漁業組合はその各支部となった。
3月 市農業会と産業組合は統合されて市農業会を設立した。産業組合はその各支部となった。
4月 県立延岡工業学校が開校した。 -
1945(昭和20)年
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3月 はじめて爆弾が投下された。(伊福形の松林)
3月 日窒航材工業(株)が設立された。(旭有機材の前身)
6月 29日午前1時すぎ焼夷弾攻撃をうけ、市の中心地域は焦土と化し、市庁舎も焼失した。
7月 レーヨン寄宿舎が被爆、死傷者が続出した。
8月 5日夜北小路に爆弾が投下され死傷者を出した。また、30戸余りを爆破された。
8月 15日終戦。17日から市役所を岡富国民学校講堂に移した。
8月 米軍が進駐し、雷管工場寄宿舎を宿舎とした。 -
1946(昭和21)年
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1月 新しい制度による民生委員が発令された。
3月 三浦虎雄氏が公職追放により辞職し、鈴木憲太郎氏が市長に就任した。
4月 日窒化学工業(株)は社名を旭化成工業(株)と改称した。
9月 宮崎県延岡市復興事務所が設立された。 -
1947(昭和22)年
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4月 佐藤千吉郎氏が市長に就任した。
4月 学制改革により新制中学校発足(5月8日延岡中、東海中、土々呂中、南方中、島野浦中、熊野江中の各学校が開校した。)
4月 図書館が県立から市立となった。
4月 延岡市選挙管理委員会が設置された。
4月 作物報告事務所延岡出張所が本小路に、宮崎県延岡労政事務所が本町に開設された。
6月 延岡市監査委員会が設置された。
12月 延岡市議会事務局が設置された。 -
1948(昭和23)年
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3月 延岡市公安委員会が設置された。
3月 延岡市警察署、国家地方警察延岡地区警察署が設置された。
4月 南中学校、中川原旭小学校が開設した。
4月 県立延岡恒富高等学校、県立延岡岡富高等学校が設置された。
4月 農業会を廃し、農業協同組合が発足した。
5月 漁業会を解消し、漁業協同組合に改組した。
5月 延岡市農業共済会が設立された。
7月 仲田又次郎氏が市長に就任した。
8月 国立水産試験場土々呂分場が開設された。
9月 祝子橋が完成した。 -
1949(昭和24)年
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4月 延岡市国民健康保険を創設した。
4月 岡富中学校が開校した。
4月 岡高と恒高が併合して恒富高校となった。
6月 天皇陛下をお迎えした。ベンベルグ工場をご視察になられた。
8月 東海中学校現在地に完成した。
9月 日吉小次郎顕彰碑と胸像が城山に建った。
10月 延小新校舎が本小路に落成した。
11月 延岡市文化連盟が結成された。 -
1950(昭和25)年
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1月 五ヶ瀬橋が近代的な橋として完成した。
4月 県立延岡向洋高等学校が開校した。
4月 失業対策事業がはじまった。
9月 キジア台風で大瀬橋が流失した。
12月 固定資産評価員がはじめて任命された。