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観光スポット紹介「北川地域」西郷隆盛宿陣跡資料館

印刷ページ表示 更新日:2021年8月1日更新

西郷隆盛宿陣跡資料館

明治10年に薩摩士族の不満が頂点に達し、西南戦争が勃発。西郷隆盛ら1万5千の薩軍は、明治政府に問いただしたことありと60ぶりの大雪の中を鹿児島を出立、熊本城の攻防、田原坂・吉次峠の戦いの後、物量に勝る政府軍に押され九州各地を転戦する。8月15日には、延岡市の和田越えにて西南戦争最初で最後となる政府軍、薩軍総力戦が展開される。5万対3千5百の兵力差ながら善戦したが、戦局は悪化し、北川町の俵野へと退く。北川町俵野では、旧児玉熊四郎邸を本陣として宿陣。幹部らも周辺の民家に宿陣した。西郷らは薩軍として最後の軍議を開き、解散布告令を出し、薩軍を解散した。その際、西郷は重要書類とともに明治天皇から賜った当時日本で一着しかない陸軍大将の軍服を焼却した。

8月17日午後10時ごろ、宵闇に紛れて西郷ら600人余りは高千穂三田井へ向かうべく政府軍が布陣する可愛岳突囲を敢行。可愛岳を突破した西郷らは、途中、祝子川で宿陣した後、高千穂三田井で出て、鹿児島への帰路に着く。9月1日に鹿児島入りし、政府軍と戦闘を行う。城山に立てこもり、抵抗するも9月24日に西郷は自刃し、西南戦争が終結する。

この北川町俵野の薩軍最後の本陣であり、薩軍を解散した旧児玉熊四郎邸は、昭和8年12月5日に「南州翁寓居跡」史跡として、県指定を受けており、現在は、西郷隆盛宿陣跡資料館として、当時のままの民家を保存し、西郷隆盛ゆかりの品や西郷の右腕として活躍した桐野利秋の脇差しなどを展示するほか、延岡市での戦闘の記録などが学べる資料館となっています。

利用案内

  • 開館時間:午前9時から午後5時まで
  • 休館日:年末年始(12月28日から1月3日まで)
  • 入場料:無料

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