郷土の歌人「若山牧水」は、明治29年から高等小学校時代、中学校時代の8年間を延岡で過ごしました。
このときに、牧水の歌人としての基礎が形成されたといわれています。
後藤勇吉は明治29年、延岡市南町に生まれました。
旧制延岡中学校卒業後上京し、航空学と飛行を学び、大正10年にはわが国第一号の一等操縦士と一等飛行士の免許を取得しました。
野口遵は、大正12年にカザレー式アンモニア合成法を導入し、わが国で初めてアンモニアの工業化に成功しました。
五ヶ瀬川の水力発電を利用し、延岡の地に旭化成の前身会社である日本窒素肥料を設立しました。
今から270年ほど昔、延岡藩は牧野氏の時代。出喜多村(いできたむら、現在の出北)は、米を作ろうにも土地が川より高かったため水を引くこともできず、「ヒバリの巣」と言われるほど荒地が広がっていました。