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近代の年表(1930~1950年)

印刷ページ表示 更新日:2021年11月1日更新

近代の年表(1930~1950年)

1930(昭和5)年

4月 延岡町・岡富村・恒富村が合併して新しく延岡町ができた。

1931(昭和6)年

6月 恒富に日本ベンベルグ絹糸(株)が創業し、中川原町に旭絹織(株)延岡工場の建設がはじまった。

1932(昭和7)年

6月 追内町に日本窒素火薬(株)延岡工場が建設された。
12月 国鉄日之影線工事の請負契約がなされた。

1933(昭和8)年

2月 市制施行(人口42,401人、世帯数7,994世帯)
4月 初代市長仲田又次郎氏が就任した。
5月 延岡ガス(株)が創業し、翌9年9月からガス供給をはじめた。

1934(昭和9)年

4月 内藤政道氏が延岡城址一帯を公園敷地として延岡市に寄付した。
4月 惣領町に延岡高等小学校を創設し、延岡・岡富・恒富の各小学校高等科を統合した。
4月 須崎橋・五ヶ瀬橋が架設された。
9月 延岡商工会議所が創立された。

1935(昭和10)年

2月 日之影線が日向岡元まで開通した。
3月 歌人若山牧水の歌碑を城山公園に建てた。
10月 板田橋が架設された。
11月 天皇陛下をお迎えした。城山から全市を展望され、ベンベルグ工場をご視察になられた。

1936(昭和11)年

3月 川島橋が架設された。
4月 日之影線が川水流まで開通した。
8月 塵芥焼却場ができた。
10月 東海村と伊形村が延岡市に合併した。

1937(昭和12)年

1月 仲田市長が退職した。
2月 19日午後10時市庁舎から発火し、庁舎及び隣接の県立図書館を全焼した。
3月 鈴木憲太郎氏が市長に就任したが衆議院議員選挙立候補のため4月に退職した。
5月 鈴木憲太郎氏が再び市長に就任したが、6月に辞職した。
7月 安賀多橋が架設された。
9月 大島文彦氏が市長に就任した。
9月 日之影線が槇峰まで開通した。

1938(昭和13)年

4月 出北町に東小学校が新設された。
4月 延岡市常備消防部を創設した。
6月 延岡保健所が設置された。
7月 延岡郵便局が南町の新築局舎に移転した。

1939(昭和14)年

2月 恒富浜の山(現在長浜町)に日本窒素火薬(株)の雷管工場が完成した。
8月 内藤政道氏が本小路の旧邸を延岡市に寄付した。
8月 県立延岡図書館が再建された。
9月 大洪水で大瀬橋が流失し、須崎橋は半壊した。
11月 日之影線が日之影まで開通した。

1940(昭和15)年

4月 私立実践女学校が設置された。(20年焼失)

1941(昭和16)年

4月 尋常小学校を国民学校と改称した。
4月 延岡高等小学校内に市立延岡高等女学校を新設した。(19年に県立高等女学校に合併移管)
5月 延浦航船(株)が創設された。22年に日豊汽船(株)と改称した。
10月 三浦虎雄氏が市長に就任した。
12月 太平洋戦争が勃発した。

1942(昭和17)年

3月 日高保三郎氏が三松公園を市に寄付した。
5月 三浦虎雄氏は衆議院議員選挙立候補のため4月に市長を辞職したが、再び市長に就任した。

1943(昭和18)年

9月 40日あまり雨が降り続き9月20日大洪水となり、川中・岡富・東海地域で大損害をうけた。
10月 延岡商工会議所は宮崎商工経済会延岡支部となる。(21年延岡商工会議所に改組された。)

1944(昭和19)年

3月 市水産会は漁業組合と統合して漁業会の設立となり、漁業組合はその各支部となった。
3月 市農業会と産業組合は統合されて市農業会を設立した。産業組合はその各支部となった。
4月 県立延岡工業学校が開校した。

1945(昭和20)年

3月 はじめて爆弾が投下された。(伊福形の松林)
3月 日窒航材工業(株)が設立された。(旭有機材の前身)
6月 29日午前1時すぎ焼夷弾攻撃をうけ、市の中心地域は焦土と化し、市庁舎も焼失した。
7月 レーヨン寄宿舎が被爆、死傷者が続出した。
8月 5日夜北小路に爆弾が投下され死傷者を出した。また、30戸余りを爆破された。
8月 15日終戦。17日から市役所を岡富国民学校講堂に移した。
8月 米軍が進駐し、雷管工場寄宿舎を宿舎とした。

1946(昭和21)年

1月 新しい制度による民生委員が発令された。
3月 三浦虎雄氏が公職追放により辞職し、鈴木憲太郎氏が市長に就任した。
4月 日窒化学工業(株)は社名を旭化成工業(株)と改称した。
9月 宮崎県延岡市復興事務所が設立された。

1947(昭和22)年

4月 佐藤千吉郎氏が市長に就任した。
4月 学制改革により新制中学校発足(5月8日延岡中、東海中、土々呂中、南方中、島野浦中、熊野江中の各学校が開校した。)
4月 図書館が県立から市立となった。
4月 延岡市選挙管理委員会が設置された。
4月 作物報告事務所延岡出張所が本小路に、宮崎県延岡労政事務所が本町に開設された。
6月 延岡市監査委員会が設置された。
12月 延岡市議会事務局が設置された。

1948(昭和23)年

3月 延岡市公安委員会が設置された。
3月 延岡市警察署、国家地方警察延岡地区警察署が設置された。
4月 南中学校、中川原旭小学校が開設した。
4月 県立延岡恒富高等学校、県立延岡岡富高等学校が設置された。
4月 農業会を廃し、農業協同組合が発足した。
5月 漁業会を解消し、漁業協同組合に改組した。
5月 延岡市農業共済会が設立された。
7月 仲田又次郎氏が市長に就任した。
8月 国立水産試験場土々呂分場が開設された。
9月 祝子橋が完成した。

1949(昭和24)年

4月 延岡市国民健康保険を創設した。
4月 岡富中学校が開校した。
4月 岡高と恒高が併合して恒富高校となった。
6月 天皇陛下をお迎えした。ベンベルグ工場をご視察になられた。
8月 東海中学校現在地に完成した。
9月 日吉小次郎顕彰碑と胸像が城山に建った。
10月 延小新校舎が本小路に落成した。
11月 延岡市文化連盟が結成された。

1950(昭和25)年

1月 五ヶ瀬橋が近代的な橋として完成した。
4月 県立延岡向洋高等学校が開校した。
4月 失業対策事業がはじまった。
9月 キジア台風で大瀬橋が流失した。
12月 固定資産評価員がはじめて任命された。

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