皆さんこんにちは。市長の首藤です。
一昨日のまつりのべおか総踊りには、大変多くの職員の皆さんにご参加いただいてありがとうございました。途中で激しく降り出した雨のために早々に終了となってしまいましたが、今年は市役所からおよそ700名の参加となり、一体感がなお増したように感じます。
さて、昨年来、口蹄疫や鳥インフルエンザ、東日本大震災、国政の混迷などなど、気が重くなることばかり多かったのですが、先日の女子サッカーワールドカップでは「なでしこジャパン」が久々に胸のすく思いをさせてくれました。
まさか優勝なんて夢のまた夢と思っていましたので、早朝から「やった!!」と声を上げて妻とハイタッチをしてしまいました。
勝てた要因というのは様々な分析が出来るのだろうと思いますが、技術的なことよりも精神的なこと、特に、選手全員が「東日本大震災の被災者のために頑張ろう」という気持ちを持ち続けたことが大きいのではないでしょうか。実際、ドイツ戦の前には震災の映像をみんなで見て士気を高めたそうです。
この、「自分のためではなく他の誰かのために」という思いを心の底から持てた時というのは、普段以上の力を出せるものですね。今回はそれが実証されたということだと思います。
かたや、原子力発電のあり方を巡っての各地でのシンポジウム等にいわゆる「やらせ」が横行していたという報道がされていますが、対照が際立っているように感じます。
こうしたことに関して考察するにあたって、また我々自身の行動規範を考えるうえで参考になるかと思いますので、以下、稲盛和夫さんの文を引用します。
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「自分の企業を守り、繁栄させ、発展させていくためには、まず企業を守っていこうという自己愛が必要です。しかしながら、そのベースには普遍的な愛に包まれた共生の思想がないといけません。あまりに自分の会社のことだけを考え経営をすれば、結局、従業員の生活も、株主の利益も守れなくなり、企業自体も存続できなくなってしまいます。自分の会社を立派にしたいという自己愛が強すぎると、会社は生きられなくなるのです。 そうならないためには、お客様、従業員、株主など、会社をとりまく人々が喜んでくれるような経営をしなければなりません。自己愛と同時に、他者への愛というものがどうしても必要になるのです。・・・ 従業員の生活を維持し、守っていくことも普遍的な愛なら、取引先の企業、あるいは経済を支えていこうとすることも普遍的な愛です。企業活動で利益が出て、税金を納めて、それが社会で有効に使われる。また、寄付等の行為を通じて社会に貢献する。これも普遍的な愛です。こうして企業も社会と共生しなければ、生き延びることができないのです」
「共生だといわんばかりに、護送船団方式で同業者すべてがうまく成り立つように行政や業界が口を出すのは、業界にとっては都合がよいかもしれませんが、お客様である一般大衆はそのためにたいへんな害をこうむることになり、決して共生という普遍的な愛の行為とはいえません。逆に業界全体の自己愛に満ちた振舞いでしかないのです。私はまた、共生のために競争が必要であるのと同じように、競争のために共生が必要であるとも考えています。たとえば、国道筋に一軒だけラーメン屋さんが開業しても、お客様はあまり来店せず、つぶれてしまうことが多いようです。ところが、周囲に何軒もラーメン屋さんができると、人がどんどん集まりそれぞれの店が繁盛します。これはラーメン屋さん同士が競争することで、味もよくなり、値段も安くなり、それぞれの店が栄えて、結果的に共生しているからでしょう。逆に、もし隣にライバルが出店することを邪魔し、自分の店だけで市場を独占しようとすれば、サービスも品質もよくならず、お客様もこず、結局失敗してしまうのです。このように、本来競争も共生も、他者を認め、多様性を認めるという前提のうえに成り立つのであり、また共生と競争があって初めて、社会全体が繁栄できるのです」
> 市長室 > 職員への市長メッセージ > 2011年8月1日