歴史・文化

のべおか天下一薪能

「天下一」とは、安土桃山時代から江戸時代初期にかけ、「天下一」の称号を授けられた能面作家のことで、「天下一」の手による能面30点が延岡市の内藤記念館に所蔵されています。「のべおか天下一薪能」は、この「天下一」の能面を使用し、能楽界最高峰の演者達が舞うもので、日本を代表する薪能となっています。

神話

宮崎県は高千穂町を中心とした神話のふるさとですが、延岡にも天孫ニニギノミコトやコノハナサクヤヒメが出逢ったとされる笠沙の御碕(愛宕山)やその子ホオリノミコト(山幸彦)が産湯に使ったとされる祝子川、さらにはニニギノミコト陵墓宮内庁参考地など、神話にまつわる史跡が数多く残されています。

歴史

南北朝時代まで、複数の有力者達による複雑に絡み合った勢力争いが繰り広げられていましたが、徐々に力を伸ばした土持氏が、ほぼ延岡市域一帯について一定の勢力を持つことになります。
天正6年(1578)、大友宗麟の侵攻によって大友氏領となり、大友氏が島津氏に敗れると、島津氏は土持氏に旧領を安堵しています。しかし島津氏が豊臣秀吉に敗れたため、新たな領主として、豊前国香春岳(福岡県)より高橋元種が入封することになります。
その後、高橋氏、有馬氏、三浦氏、牧野氏を経て、内藤政樹が陸奥国磐城平(福島県)より7万石で入封すると、それ以降、明治維新を迎えるまで内藤氏が8代にわたって藩主をつとめることになります。
明治4年(1871)の廃藩置県後、、延岡市は、延岡県、美々津県、宮崎県、鹿児島県の所属となりました。この鹿児島県時 代の明治10年に起こった西南戦争では、県指定史跡である南洲翁寓居跡(現在の西郷隆盛宿陣跡資料館)をはじめとする、西南戦争ゆかりの地が数多く市域に 存在することからもわかるように、政治的にも経済的にも、大きな影響を受けることになりました。
明治16年、再び宮崎県となり、明治22年の町村 制施行により、延岡町、岡富村、恒富村、伊形村、東海村、南方村、南浦村、北方村、北川村、北浦村の1町9村が成立しています。大正12年(1923)に 日豊本線が全線開通し、恒富村に日本窒素肥料株式会社延岡工場(現旭化成)が建設されると、延岡町は岡富村・恒富村と昭和5年(1930)に合併し、同8年に市制を施行します。
その後も同11年に東海村・伊形村と、同30年には南浦村・南方村との合併を行った延岡市は、平成18年(2006)に北浦町・北方町と、平成19年(2007)に北川町と合併し、新たな市の歴史をスタートさせたところです。

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