延岡市の北の方を流れる清流北川の下流域に、須佐(すさ)という集落があり、その地の熊野神社に1300年近い伝統をもつといわれ、無病息災・五穀豊穣を祈る「歳頂火」と呼ばれる火祭りが伝わっています。
一説によると、奈良時代に、紀州熊野権現の分霊を護持し、諸国を巡った修験者が、養老2年(718年)、須佐に野宿し、朝、旅立とうとしたが、御神体が重く、腰が立たなかったため、この地に熊野神社本宮の分社を建立しようと、村人を集めて、木や柴を山のように積み上げて護摩火を焚き、無病息災・五穀豊穣を加持祈祷したのが始まりとされています。
1年間の罪や穢れの一切を焼き払い、新年を迎えようと、旧暦の小正月(1月15日)の前夜に行われてきましたが、現在は、その日に近い新暦2月の土曜日の夜に行われています。この地域伝統行事は、地区の須佐熊野火祭り保存会の人々によって、毎年行われ、戦時中は空襲の目標とされるため、明かりを出せなかった夜も、日中営まれ、1年も欠かしたことがありませんでした。夜空を焦がす真っ赤な炎が、数十メートル燃え上がり、火の粉が周囲に降り注ぐ光景は壮観で、龍神が昇天する姿にも見えます。
歳頂火の準備は、まず、2週間ほど前の、須佐の集落総出の≪出仕事(でしごつ)≫と呼ばれる共同作業からはじまります。20本余りの大木を山から伐り出し、そして、伐り出し作業が終わると、その大木を「ヤマ」と呼ばれる井桁に組んでいきます。
そして、いよいよ歳頂火の当日は、夜6時半、歳頂火太鼓の合図で、火起こしの神事が厳かに始まります。熊野神社社殿で、古式にのっとり、宮司による「火鑚り(ひきり)」で起こされた御神火が石段を降り、「ヤマ」の四方に、こどもたちによって集められた杉の葉に点火されます。歳頂火太鼓が、激しく炎上する「ヤマ」の動きに合わせて、激しい動きと早いリズムで打ち鳴らされます。火の番は、地元の消防団の役割です。
歳頂火の燃え尽きた灰の状態で、その年の豊作を占います。また、参加できなかった人たちも、朝になると、残り火の周りに集まって暖を取りながら、餅などを焼いて食べたり、灰は、持ち帰って、田畑に蒔き、豊作を祈ります。
上鹿川地区は、九州山地、大崩山系の奥地、五ヶ瀬川の支流にある綱ノ瀬川の上流に、ひっそりと息づく山あいの集落です。延岡市の西部に位置し、綱ノ瀬川を境に、西を日之影町と接しています。江戸時代は延岡藩領、廃藩後は旧北方町に属していましたが、平成18年2月の合併により延岡市に編入されました。同地区は、綱之瀬川の最奥の集落で、延岡市の中心部からは50kmも隔絶され、わずか29世帯(人口80人)の小さな集落で、農業に適した平地にも恵まれず、それを克服する農法として、古来より「焼きヤボ(焼き畑農法)」が営々と行われてきました。苦しい山あいの生活の中にあって、春と秋に、集落あげて行われる「焼きヤボ」は、上鹿川に住む「山の民」にとっては、季節の移ろいを告げる風物詩でした。
この「焼きヤボ」作業は、集落みんなの協力・結束が得られなければ、一瞬のうちに山火事となり、「山の民」の命を奪う危険な農法でもありました。この危険を伴う、きつい農作業を、上鹿川地区の方言で「春ヤボ」「秋ヤボ」と親しみを込めて呼んでいました。4月から5月にかけて行われた「春ヤボ」では、大豆・小豆などを蒔き、8月から9月にかけて行われた「秋ヤボ」では、ソバなどを蒔きました。
しかし、この「山の民の智恵」も、近年、里山が崩壊することと連動して、シカや、イノシシが、里に出て来ては、せっかく蒔いた種を掘り起こし、度重なる被害を受け、昭和63年の焼き畑を最後に「山あいの民俗・風物詩」が姿を消してしまいました。現在では、わずかに山形県の鶴岡市と、宮崎県の椎葉村だけで行われているのみとも言われている焼き畑農法ですが、この九州山地の秘境、上鹿川でも、昭和63年まで、この「焼き畑」が行われていました。平成18年2月の(旧)北方町と延岡市との合併を機に、平成19年度 文化庁「ふるさと文化再興事業」の認定を受け、これまで、あまり知られていなかった焼きヤボの実態と、山の民俗を映像で記録しました。この記録映像を広く紹介するとともに、後世にも伝えていきたいと思います。
なお、この映像記録制作にあたっては、宮崎県民俗学会の前田博仁副会長(宮崎市在住)から、昭和63年5月19日に、同地の春ヤボの様子を撮影した貴重な記録映像を提供していただき、ご協力いただきました。
平成19年3月、延岡市と合併した(旧)北川町は、敷地面積の9割以上を山林が占め、林業が盛んで、山の文化が色濃く残っています。山の中で、木の伐採作業や、運び出し作業に従事していた人を「山師」と言い、山の文化を担ってきました。この山師さんたちが、伐採した木を運び出す作業をするときに、山の中で唄っていた労働歌が「木遣り唄」です。地域文化の"原点"とも言える貴重な無形民俗文化財です。しかし、昭和40年代以降、輸入木材の増加などに押され、山林は荒廃、山師も減りました。さらに、山師の高齢化や、木材運搬方法の機械化も進み、「木遣り唄」を唄う機会も失われました。
現代の物質文明の中に埋没し、見失われがちな自分たちの生まれ育った地域文化を、合併を機に、もう一度見直し「山の文化」を再発見・再認識し直そうと、平成19年度 文化庁「ふるさと文化再興事業」の認定を受け、北川町長井の元山師さんが中心となって、途絶えかけていた「北川町長井木遣り唄」の記録保存に取り組みました。「北川町長井木遣り唄」の記録に参加した元山師さんたちは、いづれも山師歴50年のつわものぞろいでした。「北川町長井木遣り唄」には、定型の歌詞はありません。当意即妙、先導の人間性が、アドリブ歌詞の中に表現されます。その時の映像記録です。
代表的な木遣り唄の例をあげてみますと
♪ ~ よ~いこ~ら ヨイトコセーノ
♪ ~ そうりゃこれから ヨイヤマダマダ
♪ ~ これから始まる ヨーイトコセーノ
♪ ~ 助七じょろりよー ソーリヤコイヤレ
♪ ~ よ~いやまだまだ ソーリヤサイテコイ
♪ ~ 山師さんたちや ヨーイヤセーノ
♪ ~ 山から山でー ヨーイヤコーラー
♪ ~ 山師や、やもめでー ヨーイヤコイヨー
♪ ~ やれ子はもたぬ ヨーイヤマダマダ
♪ ~ 一寸づつでも ヨーイヤコーリヤー
♪ ~ 十いきゃ尺じゃろ ヨーイトコリヤー
♪ ~ どっこい土瓶の ヨーイヤコリヤー
♪ ~ やれ質流れ ソーリヤ コイコイ
♪ ~ こいと言うたとてー ヨーイヤセーノ
♪ ~ 行かりょうか佐渡へ ヨーイヤマダマダ
♪ ~ 佐渡は四十九里 ヨーイトコリャー
♪ ~ 荒波の上 ヨーイヤトコセーノ
♪ ~ 信州しなの ヨーイヤセーノ
♪ ~ 新そばよりもー ヨーイト、コチラエー
♪ ~ わたしゃ、あなたの ヨーイヤセーノ
♪ ~ やれそばがいいー ソーリヤ サイテコイ
【元伐り(もとぎり)】
木をノコギリで伐採する山師のこと。
【先導(せんづ)】
山師のリーダーのことで、木遣り唄の音頭を取るなど作業全体の指揮をとります。「北川町長井木遣り唄」には定型の歌詞はなく、作業をはじめる時、木材を持ち上げる
時、横に転がす時などに、先導が、その場の状況を判断して、鉤子衆の力が一方向に向くようにリズムで音頭をとります。
【鉤(かぎ)】
伐採した木の肌に打ち込んで動かす時に使う、先の尖った道具。先の形状で「信州鉤」「延岡鉤」などがあります。
【鉤子衆(かぎこしゅう)】
伐採した木を木馬道(きんまみち)まで運ぶ6~8人の山師で、先導の唄う木遣り唄の調子に合わせて動く。
【木馬(きんま)】
伐採した木を乗せて、山の中の木馬道(きんまみち)の上をひく橇の役目をする運搬具。
【木馬道(きんまみち)】
伐採した木を運び出す山の中の道。
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