市長コラム

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東九州軸

東九州軸の連携協議会としての要望活動で東京に来ている。
北九州市を中心とする拠点都市協議会をはじめ、福岡県、大分県、宮崎県、鹿児島県の各拠点都市協議会などが連携して、九州の東軸を活性化させようという取り組みだ。
西九州軸は昨年の九州新幹線全通などによって大きな経済効果が出ているが、東九州は今ようやく高速道路が整備されてきている段階である。国の財政は大変な状況だし、東日本大震災からの復興に力を注がねばならない時期ではあるが、将来にわたって九州全体のポテンシャルを高めていく取り組みを止めてしまうわけにはいかない。
中国やロシア、インドなどが台頭する中、日本はますます激烈な競争にさらされることになる。大手製造業の雇用は次々に海外へと移っていく。日産自動車は通期純利益予想が2900億円で国内メーカー首位となる勢いだが、社内の役員会では特に海外役員から日本国外へのさらなるシフトを求める声が圧倒的だという。国力を維持するためには、産業の環境改善という意味からも、基盤となるインフラの整備は欠かせない。
この協議会の現在の会長は串間市長さんなのだが、来年度は私が後任ということになった。しっかり取り組みたい。

謹賀新年

明けましておめでとうございます。
一昨年の口蹄疫、昨年の鳥インフルエンザや東日本大震災と、辛いことが続いた時期を乗り越えて、今年こそ素晴らしい年にしたいものです。

なでしこジャパンの澤選手が女子サッカー世界最優秀選手に選ばれ、佐々木監督も最優秀監督に選ばれました。
その佐々木監督が駄洒落で、今年は「金が信念(謹賀新年)」だとおっしゃっていました。ぜひともロンドンオリンピックでは金メダルを取ってほしいものだと思いますが、親父ギャグとはいえ、この「信念」という言葉には胸を打つ響きがあります。
大きな混迷の時代の中にあって、政治もマスコミも世間の顔色を伺いながら物言いを変えるところがあるように感じます。皮相な強弁はあっても信念が感じられないと思ってしまうことが多いのは、残念な限りです。
こうした風潮をも、そろそろ日本は克服しなければならない時期を迎えているのではないでしょうか。

翻って足もとを見ると、延岡市周辺では高速道路の整備が進んていて、もうまもなく本格的な高速道路時代に突入します。これに備え、都市力を向上させる取り組みをさらに進めてまいります。

北川第2トンネル

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今日は延岡道路北川第2トンネルの貫通式が行われた。
延岡道路1工区には実に8つのトンネルがあるが、このところ貫通式が立て続けだ。
思えば、平成3年12月、国幹審(国土開発幹線自動車道審議会)で東九州自動車道の延岡西都間が整備計画昇格から漏れたことに怒りを抑えきれずに、日向市と西都市の青年会議所に呼びかけて東九州自動車道延岡西都間建設促進民間協議会(長い・・・)を立ち上げたのが12月27日、つまりちょうど20年前の今日だった。私は事務局長だったから、1週間で準備をして、今のマリエールオークパインで発会式と記者会見を行ったことをはっきり覚えている。
その後、平成6年に延岡道路が事業化されたものの実際には何の変化もなく、本格的に槌音が響き始めるまで5年も10年もじりじりしながら活動していたものだ。あの頃と比べると隔世の感がある。
宮崎県北における高速道路時代の幕開けは近い。まさしく、トンネルの向こうに光明を見る思いだ。

地域医療シンポジウム

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延岡市の「宮崎県北の地域医療を守る会」と小林市の「地域医療を考える会」が中心になり、自治医大や地域社会振興財団の協力を得て「地域医療を守り育てる住民活動地方シンポジウムinのべおか」が開催された。
これまで同大学の地域医療に関する住民活動シンポジウムは「全国シンポジウム」として3回ほど開催されていて、今回は初めての「地方シンポジウム」となる。第1回開催地に延岡を選んでいただけたのは本当にうれしい。
実は先月には、北海道の旭川市で総務省主催の「地域医療に関する定住自立圏構想推進シンポジウムin旭川」が開催されていて、私は地元以外からは唯一のパネリストとして招かれ参加してきたところだ。この時、地元新聞にパネリストの紹介記事があって、「地域医療の先進地として知られる宮崎県延岡市」という表現を目にし、少し不思議な気持ちになった。私たちは地域内の医療体制などについて問題を抱えていて、それが危機感となって活動展開をしているのだが、人口当たり医師数や大病院の数などで我々より圧倒的に良い状況にある旭川市において「先進地」と言われるのはどうも居心地が悪い。
考えるに、この「先進」の意味するところは「意識と連携」においてということなのだろう。つまり、延岡は市民意識が高くて「地域医療を守る会」などの活動も盛んであり、また地域医療を守る条例に象徴されるように市民・医療関係者・行政の連携も進んでいるということだ。
今回の地方シンポジウムでもそのことは十二分に裏付けられたと思う。
自治医大の先生の上手なリードもあって、参加者がそれぞれの立場を越えて一体となった充実したシンポジウムの後、交流会では大いに盛り上がり全員の気持ちがひとつになっていた。

県民栄誉賞

木村庄之助さんの県民栄誉賞の授賞式が県庁で執り行われた。
延岡市では松田丈志選手に続いて2人目の受賞となる。大変おめでたいと思うし、また嬉しいことでもある。
これはもちろんご本人のご努力あってのことだが、同時に後援会の皆さんの熱心な働きについても特筆すべきだろうと思う。実際、先週の大慰労会はすごい人数が参加しておられて大いに盛り上がった。この「盛り上がり」が大事だ。そのエネルギーが大きな結果につながる。
何ごともかくありたいものだ。

延岡駅周辺の賑わいづくり

先週の日曜日、「ついに延岡駅前が動き出す!」と題して、周辺の若い人たちが中心になって「延岡えきまち市場音楽祭」が開催された。
こんなにも延岡駅前に人が集まったことはない。駅長さんも、「自分は1年半前に着任しましたが、こんなことはこれまで一度もありませんでした」とびっくりしておられた。それほどのポテンシャルがこの駅前に、いや、延岡にはあるのだ。まだまだ捨てたもんじゃない。
JR延岡駅と言えば、皆さんは18日夜のNHKクローズアップ現代をご覧になっただろうか。
駅周辺整備の前段階として山崎亮さんにコーディネイトしていただきながら進めている市民ワークショップなど、その熱気が伝わってくる番組構成になっていて、本当に誇らしく、嬉しくなった。こうしてメディアに取り上げられて全国放送されるということは、今回の延岡駅周辺整備の進め方が国内でも先進的な取り組みであることの証左でもある。そして、それが関係者、とりわけワークショップなどに参加してくれている市民の自信と誇り、そしてやる気につながってくるはずだから、さらに前向きの好循環を生むだろう。
振り返れば、日本全国の地方都市で中心市街地が衰退し、郊外の大型店への消費集中が進むようになって、様々な試みが繰り返されてきた。中心市街地に行政主導で商業集積を図ってみたり核店舗を誘致したりということが一般的には行われてきたし、また、いわゆるコンパクトシティという都市コンセプトもそうした試みの中からの産物だ。しかし、地方都市の中心市街地活性化への処方箋はまだ確立されていない。中心市街地での商業集積による活性化は、あえて乱暴に言えば、ここごとく失敗してきた。
そうした状況下での、今回の延岡駅周辺整備である。
では、何がポイントかと言えば、中心市街地活性化イコール経済活動活発化という呪縛から、まずは自分たちが解き放たれることだ。つまり、商業集積を中心に活性化を図るのでなく、市民が集まる仕掛けを作るという点に集中することである。
買い物や飲食を主目的とする求心力を中心市街地に持たせようとするよりも、とにかく居心地のいい空間を作ること。また、市民自らが「こんなことをするための場が駅にあったらいい」と思う空間をまずは作ること。
人が集まるようになれば、そこには新しいコミュニティが生まれ、結果として飲食の場や物販店舗も自然に生まれてくるはずだ。
ちなみに、現代社会には「絆」が欠落してきているのでコミュニティを再生しなければならないとよく言われる。私も6年前のマニフェストで、コミュニティセンターを整備し、そこを拠点としてコミュニティ再生を目指すと宣言した。これは山崎さん言うところの「地縁型コミュニティ」なのだが、延岡駅周辺には「テーマ型コミュニティ」を形成する仕掛けを作りたいと思っている。

変革者の死

前々回のこのコラムでスティーブ・ジョブズのことを書いたばかりなのに、彼が亡くなったという突然のニュースが駆け巡っている。膵臓がんだとは知っていたが、まさかこんなに早く亡くなるとは・・・。言葉を失ってしまう。
まだ56歳。
魅力的な人生を生き抜いたと思う。ずっとまぶしく感じていた。
世界を変えた男の死を心から悼む。

「決断一瞬」・・・木村庄之助さんに感謝

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10月に引退する第35代木村庄之助さん(本名・内田順一さん)の、最後の場所が終わった。
実に半世紀にもわたる行司人生においては、私たちのうかがい知ることのできないご苦労や悩みもさぞかし多かったことだろう。本当にお疲れ様でした。
延岡市観光大使も務めていただくなど、長らく延岡市や宮崎県のPRに一役買っていただいていたことにも心から感謝したい。市では以前に庄之助さんに市民栄誉賞を贈っているが、引退にあたって県から県民栄誉賞をお願いしたいと知事に要望していた。その受賞も先週確定した。喜ばしい限りだ。
千秋楽でも「延岡」という文字と宮崎県のマークがデザインされた装束に身を包み、堂々とした軍配裁きだった。
この軍配のレプリカを庄之助さんからいただいて市長室の応接テーブルの上に置いているが、これには「決断一瞬」と大書してある。言うまでもなく、行司としての勝敗の決断は一瞬のうちに行わねばならず、しかもその決断に誤りがあってはならない。立行司は脇差を差して土俵に上がるが、これは、万が一にも刺し違えをした場合には切腹する覚悟ということであるらしい。
一方、これを頂戴した私にとっても「決断一瞬」の4文字は重い。市長という仕事も、毎日多くの決断をしていかねばならない仕事であるからだ。
ものごとを判断するときには、どんな視点からその事を捉えるかということだけでも実にさまざまな判断基準がありうるし、この基準を誤ると市民に迷惑が及ぶことにもなる。だから、延岡市という自治体のいわばCEO(最高経営責任者)として、どんな世界観を持ち価値観を持つかは重大だ。
私としては、端的に言えば、「市民全体にとって最大のメリットを生みだすためにはどう決断したらよいか」を一番の基準としている。こう書くといかにも当たり前のことのようだが、現実の問題は結構様々な要素が絡み合っているのが常だから、意識してこの原点に戻る必要がある。心して務めていきたい。

スティーブ・ジョブズ

スティーブ・ジョブズがスティーブ・ウォズニアックと2人してガレージで現在のパソコンの原型を作り、世に送り出したのはよく知られている。このコンピュータの名前が「アップル」だった。それが彼らの会社の名前になり、やがてマッキントッシュという革命的なパソコンを生み出した。
これは本当に衝撃的だった。
私ももとは技術者で、ずいぶん昔に勤めていた会社の研究所で“8080”とか“8085”という初期の8ビットマイコンを相手にアセンブリ言語で悪戦苦闘した経験がある。今でこそGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェイス)が当たり前になったが、マッキントッシュが発売になった頃というのは、他メーカーのマシンでは、例えばファイルを削除するにもキーボードから長々と“del ***.**”などと打ち込むMS-DOSという仕組みがようやく一般的になった時代だ。同じことをするのに、マッキントッシュでは画面上で目的のファイルをゴミ箱のアイコンにドラッグするだけだ。その操作を初めて目にしたときは、魔法を見たような気がして鳥肌が立ったことを覚えている。
以来、私はずいぶん長い間Mac(マッキントッシュ)の熱烈なファンだったし、自称「Macの伝道師」などと名乗っていた時もあった。
その後、仕事の都合上ウィンドウズマシンに泣く泣く乗り換えたが、Macは「ひとの感性と直結する」マシンだったと思う。これはその後のiPodやiPhoneそしてiPadにも共通する特性なのだろう。いずれも爆発的にヒットした。
スティーブ・ジョブズは一時アップルコンピュータ社から離れたものの、復帰してからの活躍はすごかった。いきなりiMacで大ヒットを飛ばしてCEOに就任するや、その後のiPodやiPhone、iPad等によってついにマイクロソフトをも抜き世界一のIT企業になった。
先日、その伝説の人スティーブが病気のためアップルのCEOを辞任するというニュースは世界に衝撃を与えた。会社から完全に身を引くわけではなく会長就任ということなのだが、それでもアップルの株価は暴落しあっという間に時価総額で2兆円の減となった。
スティーブ・ジョブズ、JFK、ロバート・ケネディ。共通するのは自らの理想を高く掲げ、妥協をせずに突き進む若々しいリーダー像だ。今もあこがれる。彼らほどの大きな土俵でなくとも、今の仕事のなかで自分なりの理想像を追いかけているつもりだ。

パリメール

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北方町の田口ファミリー果樹園の皆さんが来庁され、おいしいブドウを賞味させていただいた。特にこの写真の「パリメール」は皮ごと食べられるのが特徴だそうだ。さわやかな甘さがあって、大変おいしかった。北方で新しく取り組むようになって数年間は実がつかずに苦労されたようだが、最近はブドウの作付けをする仲間も増えてきたとか。
息子さんはSAPのメンバーなので以前から知っているのだが、そもそもSAPの皆さんはバイタリティに溢れる人が多いので話をしていてもこっちも気持ちがいい。積極的に新しい取り組みをされることに対して敬意を表したい。そしてその輪が拡がるように応援していきたい。